東京高等裁判所 平成3年(行コ)110号 判決 1992年2月17日
控訴人
八木言彦
被控訴人
横須賀労働基準監督署長名塚文夫
右指定代理人
浅野晴美
同
渡辺光弥
同
神尾武治
同
岸田孝司
主文
本件控訴を棄却する。
控訴費用は控訴人の負担とする。
事実
一 当事者の求めた裁判
(控訴人)
1 原判決を取り消す。
2 被控訴人が控訴人に対し昭和六一年二月二八日付けでした労働者災害補償保険法に基づく療養補償給付及び障害補償給付を支給しない旨の決定は、これを取り消す。
3 訴訟費用は、第一、二審とも、被控訴人の負担とする。
(被控訴人)
控訴棄却
二 当事者の主張
当事者双方の主張は、原判決「事実及び理由」中「第二 事案の概要」記載のとおりであるから、これをここに引用する(原判決四枚目表一〇行目の「第二五号証」(本誌五九八号<以下同じ>93頁2段25行目の(証拠略))を「第二八号証」と改める。)。
三 証拠
証拠関係は、原審及び当審における証拠関係目録記載のとおりであるから、これをここに引用する(略)。
理由
一 当裁判所も、控訴人の請求は理由がないと判断する。その理由は、次のとおり付加、訂正するほかは、原判決「事実及び理由」中「第三 争点に対する裁判所の判断」93頁3段18行目)記載のとおりであるから、これをここに引用する。
1 原判決八枚目表七行目の「これは、」(94頁3段8行目)から同一〇行目の「なされていた。」(94頁3段13行目)までを、次のとおり改める。
「これは、ある個人に対して負の評価を伴う印象を指摘し、相互に率直な感情を表出しつつ対話を行い、その過程でその者が異質なものを受け容れ、これを従来の自己概念に統合できるよう援助することを目的として行うものであり、その実施に先立ち、トレーナーから班員に対し、指摘ないし対話は、個人の人格ではなく行動につき、データに基づいて、受容的かつ相互援助的に行うようにとの注意がされていた。」
2 同八枚目裏五行目の「「フィードバックサークル」は、」(94頁3段24行目)の次に、「各自の行動が他の班員にどのように知覚されているかを知ることにより、印象フィードバックと同様の効果をあげる目的で、」を加える。
3 同一〇枚目表二行目の「これは、」(95頁1段11行目)から同六行目の末尾(95頁1段18行目)までを、次のとおり改める。
「その目的は、合宿という人為的に設定された非日常的環境のもとで、普段は気付かない人間関係上の問題点を他者からの指摘により気付かせ、相互啓発を通じて自己発見をする機会を得させることにより、職場の人間関係への新入社員の適応性を高めることにあり、このような目的に沿って講義、実習、討議などのカリキュラムが行われたもので、控訴人は、印象フィードバックが行われた第二日目の午後までには、このような目的についてのおおよその理解はできていたものと認められる。
たしかに、印象フィードバック、フィードバックサークル及びコースヒストリーの内容である負の評価を伴う指摘は、それを受けた者に不快感を乗り越えて自己概念を拡大する過程を自覚させる点で有意義であるが、反面心の準備ができていない参加者がこれを自己の人格への非難、攻撃と受け取る虞れがないわけではない。しかし、本件においては、新入社員研修の目的に沿うよう考案されたものである上、実施に先立ち、前示のとおり他の班員に対する指摘が人格攻撃とならないよう配慮されていたのであり、印象フィードバック及びフィードバックサークルでの控訴人についての指摘も、控訴人に対する中傷とまではいい難く(控訴人は、印象フィードバックで「残念ですがあなたはリーダーシップはとれません」と指摘されたと主張するが、このような表現のものであったことを認めうる証拠はない。)、また、控訴人と同一班の参加者の大多数は本件合宿訓練を肯定的に評価しており、これを否定的に受け止めた者はなく(<証拠略>)、同班の雰囲気が敵対的ないし異常なものであったことを認めうる証拠はない(控訴人は、第三日目に松原トレーナーが泣いていたと主張するが、この点を認めうる証拠はない。)。
更に、当時控訴人の使用者であった日産自動車株式会社は、昭和五一年度から同六二年度までの新入社員合計五七八九名に対して合宿研修を行ってきたが、その間研修内容が原因で精神障害を発症した社員はなく(<証拠略>)、また、本件合宿訓練の指導に当たった株式会社ビジネスコンサルタントは、昭和六一年四月から平成二年三月までの四年間に延べ五九〇社からの依頼により延べ約一万七六〇〇人に対して本件合宿訓練と同種の新入社員研修を行ってきたが、その間研修内容が原因で精神障害を発症したとの報告は皆無であるとしている(<証拠略>)。」
4 同一〇枚目表七行目の冒頭(95頁1段19行目)から同一一枚目表一〇行目の末尾(95頁2段31行目)までを、次のとおり改める。
「四 本件疾病について、控訴人を直接診察した前記社会福祉法人湘南福祉協会湘南病院の医師氏原鉄郎は、前記(原判決四枚目表五(93頁2段17行目))のとおり、神経症の疑いがあると診断したのみであって、確定的に神経症と診断したものではなく、その原因、治癒の有無、後遺障害の有無については二回しか診察していないため不明であるとしている(<証拠略>)。そして、北里大学病院の医師三浦貞則、神奈川県予防医学協会中央診療所の医師戸田弘一及び関東労災病院の医師佐々木時雄の各鑑定意見(<証拠略>)によれば、本件合宿訓練での体験は、本件疾病の一つのきっかけとはなりえたとしても、神経症を発症させるほどの精神的負担を伴うものではなく、発症の主因は控訴人の性格特性にあるとされている。
前記三認定の事実に医師の右各意見を総合すると、控訴人が本件合宿訓練で受けた前記指摘は、人が職場での人間関係をめぐって直接間接に経験する種類、程度のものであると認められ、それが本件疾病を生じさせることは通常予見できないところであり、また、本件合宿訓練への参加に伴う控訴人の精神的負担が職場環境からの精神的負担と比較して過大であったということはできない。
そして、仮に本件合宿訓練中の精神的負担を機として控訴人が心因性神経症にかかったものであるとしても、その主因は、控訴人の本件合宿訓練前の心理的状態(控訴人は前記のとおり、入社以降の生活環境の変化のため軽い鬱状態になっていたと述べている。)ないし控訴人の性格特性(<証拠略>によれば、控訴人の友人や上司は、控訴人の性格を真面目で几帳面、おとなしくて線が細く、周囲の目を気にし、自分から前にでる方ではない、冗談でも真に受けるなどと見ている。)にあり、業務ないし職場環境は単なる誘因にすぎないとみるべきである。
そうすると、業務としての本件合宿訓練への参加と本件疾病との間には、客観的にみて相当因果関係が認められないというべきである。」
二 以上のとおりであって、被控訴人がした前記決定の取消しを求める控訴人の本件請求は理由がなく、これと同旨の原判決は正当であって、本件控訴は理由がないからこれを棄却し、訴訟費用の負担につき行政事件訴訟法七条、民事訴訟法九五条、八九条を適用して、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 藤井正雄 裁判官 伊東すみ子 裁判官 水谷正俊)